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日本滞在記

3月の日本出張(2)+ひとりごと

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1だの2だのって、結局食べたものの写真しかないって話もありますが…
あ、そういえば、今回も前回も、新しいラーメンのお店に入ったのに、どちらも写真がなしでした。残念。
地元で評判のパン屋さんで買ったパン二個
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夕食に食べたサラダうどんだったっけかな。
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中華でディナー
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あれ、ガストで何か食べたと思うんだけど、写真が行方不明
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おいしかった!

以下、気ままなひとりごとです。適当にスルーしてください。

ずっと、斎藤一人さんのYouTubeを聞いていて、ずっとわからなかったことは、「頑張るべきなのか」「頑張ってはいけないのか」ということ。 斎藤一人さんに限らず、否、聖書の聖句をよく読めばわかるけれど、書いてある内容は矛盾だらけで、つまり、誰が読んでも、必要な答えが見つかるようにできている。一人さんは、これは仏教のほうが幅が広く、キリスト教は限定的と言ってらしたけれど、これは、聖書の内容というより、「キリスト教会の教義」としてまとめられてしまったものが限定的というべきなんではないかと。

で、一人さんの話に戻ると、「仕事」の話では、「頑張る」ことを進めていることが多い。あ、顔が晴れるって言ってらしたっけ。 でも、頑張りすぎるとガンになるとか、頑張らなくていいとか、そういう言葉も別のところでは使ってらっしゃる。そして、聴く人に合わせて話す内容を変えてらっしゃるとも。

仕事は、「好きなことを一生懸命やる」というのもあるし、仕事は好き嫌いに関係なく、そこに呼ばれていくのだとも。そして、ある程度の年齢に達してからは、「好きなこと」ではなく「やりたくないこと」をやるようにとも。

で、「苦労はしてはいけない」とも。苦労をしているということは、やり方がが間違えているのだとも。

で、私、人から屁理屈だと言われようとなんだろうとかまわない。私の理屈を他人に適用するつもりはない。だけど、私にとっては「屁理屈」ではなく「理屈」がすべて。

「理屈」よりも「感情」が大切だと認めている唯一の理由は、その理由を自分なりの理屈で説明できるから。そして、↑のことを全部まとめると、私の場合は、こうなる。

まず、天上天下唯我独尊

私の言っていることがすべて正しい。だって、この世には私しかいないのだから。 ってか、少なくとも、私の理屈の世界ではね。だから、反対する人がいるとしても、それは、私の理屈が作り上げた私のために必要な反対分子であるから、それはそれで受け入れるとして、それはそのままでいい。

がんばってはいけないし、苦労してはいけないし、無理してはいけないけれど、がんばらなくちゃいけなくて、好きなことじゃなくて好きじゃないことをやらないといけないけれど、好きなことをやって成功しないといけないということは...

そうなんだよね。 まず、今、ここで、やっていることを(本当はさ、自分が好きで(っていうか、生まれる前にやるって決めてやりたいって思って出てきたのだから)ありのままに認めて、そのまま好きになって、そして、楽しい楽しいるんるんした気持ちで、楽しくやればいいんだよね。好きだと思えることだけ。

この理屈、繰り返すますが、他の人にはあてはまりませんので、読んでくださっているきとくな方がいらしたらご注意ください。

私が、これを書けるのは、私が、今、ここにいて、とてつもなく幸せに感じているから。

いまやっていることは、すべて私がやりたいことだから。

いつも不思議だった。

何度転職して、違う仕事についても、どうして、やる仕事やる仕事、全部好きになっちゃうんだろうって。 学校で、経済とか統計学とか、七面倒くさくて面白くもなんともないと思う教科が、どうして、本を読みだすと面白くなっちゃうんだろうかって。

人が私に行ってくれる建設的な批判が、どうしてこんなにありがたくって、私を成長させてくれる聞きたくって聞きたくってたまらないお話なんだろうかって(←そこに、いつも、自分と人に対する新しい発見があるからね)

なんか、もやもやしていて嫌いだと思っていることが、どうしてやり出すとこんなに楽しくなっちゃうんだろうかって。

たぶん、こういう心境の時は、なにをやっても楽しくなっちゃうんだと思う。とある心理状態を維持することができればね。

そして、この心理状態「ワクワク・楽しい」を維持している限り、これは、「報われない苦労」とか「頑張っちゃいけない頑張り」いはならないんだろうな。

だって、私がやりたいことなんだもの。

また、謎が一つとけた。

そう、私の人生の課題は、「謎」を解くこと。

この「謎」て前世からの課題。

でも、「天上天下唯我独尊」という考え方からすれば、これは、すべての人の課題なんだろうな。

昨日書いたことにつながるけれど、ひどいこと、凶悪犯罪を犯す人、悪魔的な人に腹をたてて、「どうしてそんなことをするの。あの人の気持ちは絶対にわからない!」とかたくなに思い続けたとしたら、その人の気持ちを理解するためには、この世で、あるいは自分が生まれ変わって「悪魔的な人」になってみるまでは絶対にわからない。そういう意味では、悪魔的な行為も、地獄での体験も、すべて、「謎」の解明には必要だから、そういうものは必要悪なんだなって思い立ったんだけど・・・

じゃあ、私が生まれ変わって悪魔になりたいのかっていうと、そうじゃない。じゃあ、理解できないのに、どうやって謎を解くのか、どうやって、将来、悪魔にならなくてすむのかっていえば、「過去に悪魔だった自分」とか、他者と認識している物に内在する「悪魔的な存在」を認めちゃえばいいんだよね。自分にもあるであろう自分の一部として。

私を、不幸な不幸な国の不幸な不幸な家庭の一角でしいたげられた環境で育てれば、すんごいひねくれた悪魔的な人間になってしまう。幸いにして、今の私はそうではない。そして、そういう人たちは周りにはいない。これは、ものすごい幸せなことで、感謝すべきことだけれど、だからって、この世の中の悪魔的なものをすべていけない人として否定する必要はないんだなあと。

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3 Comments

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1969-12-31 16:00

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ぽん  

2018-05-06 19:47

美味しそう~と言うか、日本でのお食事って感じが満載☆
さぞ、お幸せだったことでしょう☆
早速、コメくださってありがとうございましゅ☆

http://hokkaidounahibi.blog.fc2.com/

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sakulanbo204
ぽん様

sakulanbo204  

2018-05-06 20:18

ハイ、貴重な日本でのお食事、できるだけ食べたいものを食べました。
長い出張だったはずなんですけど、終わってみるとアッという間ですね。

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