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ひとりごと Musing

私のパターンと私の中の男の子と

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かなりマニアックなひとりごとです。適当にスルーしてください。

さっき投稿した記事の続きに書きたかったのですが、フォーマットがおかしくなるので。
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昨日、意味不明のまま思いっきり泣いたので、何かがひとつふっきれて、何かが見えるようになった気がする。

あ、その前に、たぶん、こんなふうに過去の感情が整理されるきっかけになった斎藤ひとりさんのYouTubeにあった、お釈迦様の教えの究極、ひとりさん流の(でも、まとを得た)究極の要約。
お釈迦様の教えの真髄は次の三つに要約できるというもの

曰く:ものごとはすべて因果によって成立する。つまり、原因があって結果がある
曰く:ものごとはすべて構成要素に分けられる
曰く:苦しみというものは結局なくならない。幸せでなくても幸せそうな顔をしていることが悟りの極意

みたいな感じで、

まず、最初の、ものごとはすべて「原因」があって「結果」がある。
これ、私の得意の「なぜ?」の原理とは違うんだけど、お得意の、「なぜ神の不在は(あるいは「実在は」)証明できないかの理屈につながる。ま、そんな退屈な理屈に興味ある人はいないと思うから、はぶくけど、こちらは、「なぜの理論」とでもしておこいうか。この我流の「なぜセオリー」によれば、ものごとは「なぜ」「なぜ」「なぜ」を再現なく細かく分析していったところで、所詮はすべてHowの答えであって、Whyの答えは決して見つけることはできない。
で、これが、原因と結果の話につながる。そうか、Whyを問うても無駄なんだあ。
ものを食べればお腹が膨れる。
食べなければお腹がすく。
すべては原因と結果、すなわち、因果。

構成要素の話は↑のHowの細分化とつながるかもしれない。
そして、結局、悟っても悩みはなくならないという話。軽くなることはあるらしいが。そう、ものごとをどんどん細分化していくと、いろんなことがわかってきて、いろんなことが楽になる。でも、最後にずっと幸せでいられるかっていうと、そんなことはないよね。
あ、我流すぎたか。ってか、話が横道にそれた。

んで、↑みたいなことを考えていたら、で、考えながら、物理的に胸の奥かお腹の奥がじんじんというかうずうずというか、この思いはなんだろうかって思っていたころに、ボールに入った水を下りエスカレーターに向かってこっそり捨てる夢を見て、「それは、過去の感情を整理するサインです」って、「それくらいのことは夢診断のサイトみなくてもわかるよ」みたいな当たり前の答えが書いてあった。

で、これが昨日の涙につながる。
ずっと心の奥に押し殺して隠し通してきた、物狂おしいほどの意味不明の悲しみとそして同時に存在する安堵の感情。この安堵の感情は…あるいは、この安堵の感情を10代の前半で経験したが故に、その後にどれほど捨てようともがいても、4歳の時に培ってしまったキリスト教の信仰が捨てられなかったのだろうと思う。

閑話休題

男の子の話だよね。
インナーチャイルドとか、心ちゃんとか、子供の頃のまんまの自分とか、いろんな呼び名があるけれど、サトルさんの教えによると、それは、本当に子供の頃のまんまの自分のすがた…
その心ちゃんが出てこないわけでもないが、この心ちゃんは、ずっと3歳から8歳の頃の女の子女の子した自分の姿をしていた。
サトルさんのセッションの時も、この心ちゃんはいたけれど、男の子なんてまったく出てこなかった。

でも、この男の子は、間違いなく私の中に存在する。
私をして、「どうせおいらなんかさ」と言わせる存在。

いろいろな方のひんしゅくを買う、「ねえ、聞いて聞いて、おいらさ、女になるってことがなくってさ、ガキからそのまんまババアになっちゃったガキババアなんだよね。」とか「へっ、化粧だって、おしゃれだって、そんなきれえな姉ちゃんみたいな(女みたいな)ことが、おいらにできるわけないだろう」と言わせる存在。

仕事やデートで必要に迫られてとはいえ、いまだにひらひらとしたブラウスやワンピース、少しヒールおあるサンダルかなにかで、髪の毛もばっちりブローして、いつもは会社に着くころにはとれている口紅もつけたことがわかる色にして、「女性でございます」って時々猫をかぶる私からは誰も想像しない私の一面。(あ、仕事の時はビジネススーツか)

この男の子は、おささなじみの女友達(小学校を卒業してからは一度だけ電車の中でものすごい美人になっていた姿を見たが)で、家が近所で、偶然、大学も一緒というか隣り合わせの4大と短大だったにもかかわらず、一度もあっていない友達の弟さんになぜかそっくりである。 この子にも、もちろん、小学校を卒業していらいあっていないんだが。

昨日、大泣きした後に、女の子の心ちゃんが私に言った。

「あの子は、いつも、ずっと私と一緒にいたの!」と。

へ、やっぱそうだったの。どうりで、ときどきおいら言葉が出てくると思った。

私の心ちゃんは、女の子だけじゃなかったってこと???それとも???????

女の子の心ちゃんは、幸せいっぱいのみんなから愛されている3歳児のイメージなのに対して、この男の子は、いつもいじけてひとりで毛布を引きずっているんだけど。



追記:

あ、パターンのことを書いていなかった。
感情の整理がついたら、二人のマネージャーの間で空回りしている自分がつくづく馬鹿らしくなってきた。

もとはと言えば、このカオスの原因を作ったのは4年前の今は引退してしまったディレクターの一存である。

マネージャーAの仕事の一部をマネージャーBの管轄に移したい。よって、マネージャーAの下でその仕事をしていた私をマネージャーBの下に移すと。

二人のマネージャーにとっては寝耳に水、晴天の霹靂である。表立って反対はできないが、
マネージャーAはこの仕事を人手に渡したくはない。
マネージャーBは、マネージャーAといさかいをおこしてまで、そんな面倒な仕事を引き受けたくはない。
でも、はっきりとNoと言わないうちに日は過ぎていき、いろいろな事件のあとで今更私をマネージャーAのもとに仕事ごとつきかえすわけにもいかず…

私がもくもくと自分の仕事をすれば、二人のマネージャーが不幸になる。。。

おいっ!

二人のマネージャーは表立っては対立しないから、すべて、そういう厄介な問題の矢面い立たされるのは私

おいっ!

まあ、この構図が見えてしまえば(いまさらの感はあるが)適当に言われたことだけやってれば嵐は通り過ぎていくんだが...

このパターン、前にもあったよね。

そう、日本での生まれて初めての就職先。

私と同期3人、つまり、同期入社4人組は、支店長の大のお気に入り。

「優秀な4人を、今の職場にいる変な奴らと一緒にして汚染させてはいけない、君たちは、別の女子社員からは隔離して大切に育てる、あいつらとは付き合うな!」

支店長がこんなことを公言してしまった日には、先輩からいじめられて居場所をなくすのは新人の私達だよね。

まあ、この支店長が、その後の他部署への配置転換と、現在のアメリカ生活の引き金となる大元の原因を作ってくれたのだから、今となっては感謝すべき存在の一人なんだけどね。

そう、私のいつものパターン。

「私はな~んにも悪くないよ。状況が悪すぎるんだよ!」

まあ、いつもそういい続けている事も可能なんだろうけれど、ここまでパターンが続くとねえ、やっぱ、なにか違うだろ、その、「私はな~んにも悪くないよ」って言い訳

って、考えざるをえなくなる。

でもね、昨日書いたよね。考えないんだ。
成り行きにまかせようと思う。
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