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スピなひとりごと

私の抵抗はいったい何?

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なんか、最近、マニアックなひとりごとが続いていますので、適当にスルーしてください。

写真は、おすそ分けしてもらったホールフーズのブルーベリースコーン。ふわふわでおいしくって幸せ。

ごちそうさまでした。



以下、ひとりごと








最近、いろいろな不思議な(←でもないけれど)というか、今まで気が付かなかった考え方というか思いが次々に浮かんできて、「忘れる前に書き留めておかなくては」とブログを日記帳代わりにしている私。

まず、ここ数か月、ずっと頭にあったことは、人生のすべてにおいて、俗世間的な意味での「がんばり」と「努力」は、すべて無駄…というか、やらなくてもよいことだということ。

努力したい人はすればいい。それがなんらかの成果をもたらすのなら、すばらしいこと。
でも、こと私にいたっては、「努力していい人になろう」としたってなれるわけがない。「努力して」勉強や仕事をしようとしても、できたためしがない。「努力して」人間関係を改善しようとしたって、すべて無駄だった。 「努力して」部屋をいつもきれいにしようなんていうもの、私には「無理」。

否、私の人生において、「努力して」手に入れたものなんざ、ひとつもない。必須科目の大学の卒論ですら、一週間で書きなぐったことは前に書いたと思う。学校はエスカレータ式だったから、これも努力なし。

逆に、「あなたの努力が足りないからだめなんですよ」なんて言われたこともなくって、どちらかというと

「すばらしいですね、きっとものすごっく努力されたのですね」と言われることのほうが多いから、これも不思議っていえば不思議なんだけれど。

いや、わかっている人にはわかっているんだよ。
私がまぐれで試験に合格するたびに、「試験運のいい人っていうのはいるんだね」とため息をつく人がいなかったわけではない。

あれ、話題がずれた。

今日の思いを書きたかったんだけれど。

ああそうそう、「努力」ではなく、心を開放してあげて、そこにあるものをすべて受け入れてやれば、「今」「この瞬間」に自分がするべきことが自然と浮かんでくる。それは、まさしく、「今」「この瞬間」に、私が、やりたいと思っていることに他ならない。

が、この、心を開放してすべてを受け入れようとする過程(というか、日々の心の動き)の中で、もうひとつの内なる声が、ほぼいつも、「いやだ」と言い続けている。そして、それは、ひとりごと、あるいは、言い訳という形で、「いやだ、無理だ、できない、難しすぎる」となってみたり、「そんなのやだよ、ひどいじゃない、不公平じゃない、おかしいよ」という声となる。

あれれ…

ってことは、「声」に二種類あるのですね。

俗に言われている「ハイヤーセルフ」からのメッセージと、「自我」の抵抗。

ハイヤーセルフからのメッセージなんて、普段はほとんどない。この、もう一つの声の「やだ、だって」を静めれば、そこにあるものは、ただひたすら、私が真の意味でやりたいこと。いや、ごくごく普通の日々の営みです。「今日は、あれが食べたい。」」いまからこの食事を作ろう。」「今日はこの服をきるの」「あ、部屋がちらかっているから片付けよう」

これに対する自我の抵抗は、「やだ」「怖い」「面倒」

「面倒」なことは、面と向かってひとつひとつ取り組みだしたとたんに消える。

「いやだ」は、「怖い」と「面倒」から出ている言葉

「怖い」に直視したくないから、「面倒」となり、「いやだ」となる。

だから、「怖い」ことは、ほうっておいてやらないで、日がすぎていく。

ある日、突然、むっくりと起き上がって、勝手に必要最小限なことを体がやり出す。

一週間で卒論を書き上げて無事大学を卒業したのは、そのいい例。

幸い、この記憶があるので、表面上は焦っていても、そんな焦りはないことにしてほうっておく。

ま、私のことだから、必要なことなら、ギリギリになったら思い腰をあげてやるでしょうと。

前置きが長くなりましたが、ここで思ったのです。

この「自我の抵抗」っていったい何? あなたは何者? あなたの抵抗がなければ、すべてもものごとは、恐ろしいほどスムーズに進んでいくのに。そして、このスムースに進んでいくすべてのものごとは、実は、私が心の底から望んでいるものなのに。

私自身であるはずの、私の自我は、自らの不幸を望んでいるの? 「怖い」という言い訳のもとに?

それとも、これが、俗に言う、「自我の喪失」の恐怖? そして、これが、「死の恐怖」につながっているの?

まあいい、深く考えることはない。

そのうち、この答えも頭の中にぽっと浮かんで来るんだと思う。

とにかく、今わかっていることは、一つ一つの内なる声の思いを、上から押さえつけることなしに、一度、きちんと認めて受け入れたうえで、手放して、…放してしまうと、日々の生活がものすごく楽になるということ。

「あんた、それ以上、お気楽になってどうするのっ!」という話もあるが。

自分で解決できない問題は、万能の神様にお願いして、やっておいてもらって、お願いしたら、あとは忘れちゃえばよい。万能の神様が(いえ、これ、ユニバースでも宇宙意思でもなんでもよいのですが)、最良の時に、最良の方法で叶えてくださるから。

追記:今の私がするべきことは、「心配」せずに、日々、今の幸せを噛みしめて、幸せに暮らすこと。

大丈夫だから。
心配することはやめよう。
そして、幸せになろう!

正確には

今の幸せを認めて、幸福の光の中で生きていこう。

それが、心に飛び込んできた、友からのメッセージ。

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