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ひとりごと Musing

新しい月、新しい朝

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写真は、昨日アップしそびれたお買い物途中の風景。中には入らなかったかわいい子供服のお店があって、せめて写真だけでもとパチリととったのですが、その時はまったく気が付かなかったのに、女の子が人待ち顔で立っていました。
しっかり、お店のモデルになってますが。

そこにあってみ(人がいても)見えていないことって結構あるのですね。
こういうのが、おもしろおかしいゴーストストーリーを作るのではないかと思いますが、この場合は、人が実際にいたのに見えていなかったのですから、逆のケースですけれども。
Copied.jpg

あれ、本当は、「理屈はいらない、無駄」って書こうと思ったのだけれど、だめだ、理屈を続けたくなってしまった。

子供の頃、拡大率の低いなにかのおまけの顕微鏡で、印刷されたカラーの絵を見るのが好きでした。字も、絵も色も、すべて、微小な点の塊になってしまって、一つの色に見えているものは、実は無数の色(あ、印刷された色の数は限られてますね、安物の印刷物の場合、点の数もかなり限られていますが)点があわさって、それが、人の目には(あるいは、人が目でみた情報を脳で処理した後は)、一定の色として知覚される。

あ、もちろん、光波とか波長とか、光を波としてとらえる光学的な話と、光子、量子、粒子としてとらえる、。。うんたらかんたらって話になったら、また別の説明もあるのでしょうが、このさい、そういう難しい話はおいといて

視覚ひとつとってもこうなのだし、ものごとを無数に細かく分割していけば、それは、無限小に細かい粒子の世界に入っていく。そして、その細かい微小の粒子の寄せ集めの世の中を、人は、社会で教わった通りに、認識していく方法を学び、でも、やっぱり、見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いて、生きていくのが人の常。

だから、無数の人がいれば、その人の数だけ、微妙にすれ違った宇宙が構築されていく。

物理学も数学も、「ものごとを発見する」「真理を見つける」ものではなくて、とくに数学は、数学理論を作り出して、いま、そこにある現象をより美しく、簡略に説明するためのもの。物理学は、そこにある物事の法則を見出して、人が利用できるように、あるいは、より理解しやすくできるようにするもの。

すべての真理、真実は、すべてそこにある。

人の力では認識できないだけ。

あれ、理屈捏ねていたら、最初に書こうとしたことに戻った。

だから、時には、「ことば」ですら、なんの意味ももたない。

あ、違うな。聖書に、「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」ってあるし、ヘラクレイトスもLogos(だったと思う)について同じようなことを書いているし。

書きたいことは、「真理」や「英知」は、ほんの一瞬で垣間見ることができる。

この一瞬(時に長く続きますが)でも垣間見てしまった英知や至福は、ただそれだけですばらしくて、人はそれを表現する言葉をもたない。

いや、何千ページの書物にすれば、その瞬間には正しいものができるかもしれないが、それは、読む人の頭で、異なった形にかえられていくし、だいたい、何千ページの書物なんて読む人いないし。

だから、「感性」の側が大切なのかもしれない。

この「一瞬」の英知は言葉を超えている。言葉で説明できる感性も超えている。

これを、短い言葉で表現できるのが、詩人であり、歌や曲で表現できるのが音楽家であり、絵画や彫刻で表現できるのが、芸術家なんだろうなあ。

まだ続いている、ストレスからくる胃の痛みに悩まされる中、いくつかの「気づき」のあと、「も~う、この数年に一回、心配事があると必ず起こる胃の痛み、いいよ、このままで」と思えたところに、そして、別の「気づき」に納得していた時に「おはよう、9月の朝だね」というメッセージが飛び込んできた。

そして、朝日の中で目覚めた土曜日の朝に感じた、一瞬の至福感。
はあ、長ったらしく書いちゃった。

あ、胃の痛みはだいぶよくなっていますし、以前にも医者に行って、ストレス性のもので、過去の経験からも、心配毎ややりたくない難しい仕事が終われば、あっという間に直ることは経験済みですので、ご心配なく。
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