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スピなひとりごと

結局悪魔的なものって?

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前にアップしたひとりごと日記の続きです。
急に思い立って、忘れないうちに書き留めておきたくなったのですが、かなりマニアックな内容ですので、適当にスルーしてください。

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黒鳥と白鳥がいると、人は、黒いほうに悪魔的なものを感じますが…
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大鷺さんは肉食
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写真はありまっせんが、黒っぽいカナダ鴈は草食ですよね。

肉食獣が草食獣を食べ、その排泄物をミミズその他の微生物が分解して、土壌が潤い、草食動物の餌となる草木が育つ…

ずべては自然の摂理。

だったら、何が「悪」でなにが「善」なのでしょうか?

旧約聖書に書かれている「悪魔」についての記載は驚くほど少なくて(創世記その他に少しありますが)、場所によっては、「御使い」「試みるもの」という記載もされていますね。この件については、聖書にかなり詳しい信仰熱心な方たち何人かに伺ったのですが、いつも答えはほぼ同じでした。

西欧の悪魔の概念は(固有名詞に弱いので間違えているかもしれませんが)、ファウスト博士の記述によるところが大きいようです。

閑話休題。

人として、やってはいけないこと、大罪、その他、仏教の教えにはいろいろあるようですが…

いろいろごちゃまぜにして、スターウォーズのヨダの言葉まで混ぜて、いいとこどりをして出した結論。

結局、中村天風先生の言われる、三勿三行(さんこつさんぎょう).
三勿:怒るなかれ、怖れるなかれ、悲しむなかれ
三行:正直(誠実)、親切、愉快

これにつきるのではないかと…
あら、ですます調がである調に変わっちゃった。


心の中に、怒りと恐れ、悲しみがある時に、闇につながる大きな口ばバックりと開いてしまう。自分がそこに落ちていくこともあれば、比喩的な意味で、悪霊、浮遊霊、魔王、大魔王、様々なものが飛び出してくる。

ただし、↑の三勿三行は、あくまで「求道者」のためのいましめであって、人類すべてがそれをしなければならないということではない。 前世には意味はないと思っているけれど、「生きがいの創造」その他に書かれていることになんらかの真実があるとすれば、人がこの世に何千回と生まれ変わってくる目的は、すべてのことを経験するため。

であれば、悪魔的なことを自分の経験としてするために、あるいは、他者への悲しみを作り出すという目的のもとに生まれてくる人も当然いるわけで…

これは、私が子供の頃から抱えていた、「果たして「悪魔」と「ユダ」は神の福音と救いの対象になるのか」という疑問なのだけれど、まあ、この部分は結論が出ないから放っておくとして…

「怒り、恐れ、悲しみ」が悪魔的なものへの道につながる可能性があるものとして避けるべきだと理解するためには、まず、この「怒り、恐れ、悲しみ」を一度、全力で体験する必要があるのではないかと思う。でないと永遠にわからないから。

だから、「怒り」も「恐れ」も「悲しみ」も、すべて得心がいくまで味わいつくして、かまわない。泣きたければ、心(お腹)の底から泣けばよいと思う。否定して、頭から押さえつけるものではない。

でも、一度そのをしたら、あとは、「幸せな至福感を得たければ」「真実に向かって歩いていきたければ」という前提条件で(←皮肉なことに、これを無意識のレベルで求めている人は意外に少ないのではないかと思う)

三勿三行、とくに、三行のほうを実践すればよい。
悪魔的なものが遠のいていく気がする。

まあ、禍福は糾える縄の如しということを理解した上でということが前提になるけれど。

あ、追記でもう一つ
「人と自分を比較してはいけない」とはスピリチュアルの世界でよく言われているけれど、この人をうらやむ心が、妬み、嫉み、盗み、羨ましい人への悪行、につながる気がする。

あ、盗みや殺傷は、生き延びるための生存競争の一環で、必要悪であり、あるいは、それをやり続けて結果が今の人類なんじゃないかという気がしないでもないが、その部分はまた別)


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