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外食 Eating out

11月のお外ランチ+ひとりごと

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はあ、また間があいてしまいました。
いろいろ、書きたい心の中の思いはあるのですが、最初に、自戒の意味を込めて書きたいのは「言霊」の力。
夏の頃だったでしょうか。 あまり長電話がしたくなかった時に、友人に、つい、「ごめん、ちょっと忙しくて…」という言い訳を使ってしまいました。
その後、急に忙しくなる前に、私の「思い」が変化した部分がないわけではありませんが…
やっぱり、うっかり「忙しい」と言ってしまったのが引き金と思います。

もう、それ以来、ずぅっと「忙しい」状態が続いています。

皆様、口から出してしまう言葉には気をつけましょう。

写真はサンノゼで食べたお外ランチ。
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まだ、雨期も山火事も始まる前の、気持ちのよいお天気の日でした。

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とりあえずは、お勧めのブリスケットを頼みましょうということで、1/4ポンドにするか、1ポンドにするか、しばし迷ったのですが、うっかり食べ過ぎて午後、仕事にならないと困ると思い、1/4ポンドにしたのがこちらです。
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二回目に行った時は、同じものを頼むのもと思い、ポークを頼んだはずだったのですが、どうも、ウエイターの方が間違えたらしく、最初に、人数分以上にブリスケットが来てしまって、私ともう一人の食事がきません。
それから、10分以上待ったでしょうか。
やっと来た!
と思ったら、先ほどのと同じ、1ポンドのブリスケットでした。もう、これ以上待つのも…と思い、もうそれでいいから、なんでも食べられるものをちょうだい…といただいた、1ポンドのブリスケットです。

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以下、ひとりごとです。





武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」で、内田樹先生の「呪いの時代」のことを知った。

「弱者たちは救済を求めて。。。被害者たちは償いを求め…公正論者たちは正義の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように思われます」

まあ、久しぶりにこういう言葉を聞くと、思いを新たにしなければとは思うけれど、この言葉自体にはそれほどの目新しさはなかった。聖書にだって、人の悪口は言ってはいけないし、悪いことは思ってもいけないみたいなことがあるし、ああ、いつもの話ね。人を呪うと自分に戻ってくるっていうあれね、敵でも祝福しないといけないのね。「敵を愛し迫害するもののために祈れ」ってやつね、くらいに思った。

それが、またネットでたどっていったら、内田樹自身の、神戸女学院での特別講座のYouTubeにたどり着いて、この中で村上春樹と河合隼雄の話が出てきて…

村上春樹の作風が変わったのは、河合隼雄先生と対談して、「源氏物語に出てくる、例えば、葵の上が六条の御息所の生霊に殺される…ああいった話は現実なのですか」と問うて、河合隼雄から、「現実に決まっているではないですか」と言われたという話を聞いて…

そのあたりで、背中のゾクゾク感がとまらなくなった。まるで、怪談か何かを聞いた時のように。

そして、今、もう一度、フランス語訳で読みなおそうと思っている、村上春樹の「海辺のカフカ」の話に及んだ。」

そう、河合隼雄先生は、まだ、文化庁の長官とかになられる前の、ユング心理学にちなんだ「おとぎ話の深層」関連の本に夢中になって、そこからユング心理学にはまったことがある。

そして、村上春樹の、「海辺のカフカ」は、不思議な話だけれど、やはり、心の奥底に降りていくような感覚があるなあとは思っていたのですが…

内田樹先生の説明を聞いて、「ああそうか」と、すぅっと心に入ってきました。
あのカフカのお父さんの「呪い」は、カフカ個人のものというよりも、人類が心の奥底に隠し持つ、集合的無意識としての呪い…というか、心の奥深くに横たわっている深い闇の部分ですね。

そんな風に思って、もういちど、「では、辞書を片手に読み直しますか」とフランス語訳の「海辺のカフカ」を開いたら…

辞書なしで読めるのです!
単語力はたいして変わっていません。前回、書き出してExcelに少しまとめたものが何百かあるはずですが、ほとんど覚えていません。
ただ、ここ半年、ずっとNHKの応用講座のディクテをやっていて、言葉の細部、文法がわかりかけてきた気がしていたのです。

高校生~大学生の頃、姉が持っていた「赤毛のアン」シリーズを原書で夢中で読みました。
大学受験をしたことがない私の単語力には限界があって、学校で新聞記事やニュース記事を英語で読まされると、受験勉強をしてきたクラスメートにはまったくついて行けなかった程度の単語力だったのですが、ところどころわからなくても、好きな内容なら読める、そんな感じで、赤毛のアンシリーズは大好きだったのです。

村上春樹も、大好きな文体で、森の中の山小屋での生活の描写とか、大好きな内容なので、さくさく読めます。
単語、ぜんぜん知らないのに!!!

半年前は、ほぼ同じ単語力で、まるで読めなかったのに…
アルファベットの文字が、やっと頭の中で、「言葉」に変わり始めたような、不思議な感覚です。

閑話休題。

今日、「呪いの言葉」の意味が、突然、わかりました。

今の今まで、意味不明で、さっぱりわからない、実に理不尽な、ある種の道徳論。「悪いことはいけません。いい人でいましょう、人の悪口はいわずにいつも笑顔で楽しく暮らすんですよ」という教えを守っていきなければいけないんだと思っていました。
理由も意味も不明のままに。

理由? 意味? そんなもの、あいかわらず不明です。

ただ、感覚としてわかりました。
被害者が救済を求め、弱者が助けを求める時…公正論者が正義の実現を求める時…その言葉は、すべて、自分自身に対する呪いとなります。

なんていうのかな、私自身が、巨大な恐竜だとして、この、呪いの言葉は、するどいつららとなって、尻尾の先っぽとか後ろ脚のあたりにするどく突き刺さる。でも、所詮は氷の塊だし、なにしろ、巨大な恐竜だから、その痛みを痛みとして知覚するまでには時間がかかる。それに、それほどひどい呪いの言葉は(たぶん)吐いていないから、氷が突き刺さるといっても、細い、とげくらいのもの。すぐに治るたぐい小さな傷だけれど、でも、口から出る一つ一つの言葉、ネガティブな思い…その一つ一つが、無数のとげとなって、自分自身に突き刺さる…

これ、私にはコントロール不能だから、「いい人にならなければ」なんて、思うだけ無駄であって、いい加減にちゃらんぽらんに日々楽しんでお気楽に暮らす私の毎日は、あいかわらず、このまま続いていくのだけれど…

人に対する呪いの言葉や、人に向けてうっかりなげかけてしまう無意識の棘のような感情(あ、私がだれかさんからいじめられた時とか、誰かさんから心ない言葉を投げつけられた時とか、大ウソをつかれたとか、そういう時に湧き上がってしまうネガティブな思いね)。。
これは、そのまま、私自身にたいする棘となる。
そして、このような思いを抱かずに、逆に、暖かい春の日差しのような眼差しを、他者に対して向けることができるとき、このほんわりとした太陽の光は、そのまま私自身を包み込んでくれる…

そして、この思いは、私が考えた結果でも、努力した結果でもなくて、だた、突然、心の中に飛び込んできた。
「あ、わかった!」と
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