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お菓子 Sweets

チョコレートマドレーヌ

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少し前に焼いたチョコレートマドレーヌです。
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以下、昨日のひとりごとの続き…というか、補足


「幽霊が幻覚だけれども、お掃除や片付けをすると運勢が良くなる…、でもすべて妄想、脳も嘘をつく」みたいなことを書いた背景は、

まず、内田樹先生(だったと思います)が言われていた、カール・ユングの話。幽霊が出ると言うホテルだかどこかに泊まり込んで、やっと現れた幽霊を逐一観察して分析した結果…「それは、以前に病棟で見たことがある老婆の顔であった」というもの。

つまり、幽霊は、それを見ている人にとっては確かに現実であるとはいえ、その人の過去の体験や経験の中から生成されたものということになる。

そして、養老先生が言っていらした、その昔のてんかんの治療や、あるいは現代では、病気やケガのため、右脳と左脳をつないでいる部分を損傷して、右と左の脳の相互連絡がうまくいかなくなってしまった人々の奇妙な症状。端的に言ってしまえば、右脳と左脳が別々の指令を出し、右と左で矛盾した動きをしているときに、本人はそれをきちんと把握できず、「誰かにじゃまされた、何かがうまくいかない」と表現するという話。
あるいは、その前に聞いた、一瞬前の自分、あるいは一瞬後の自分の姿を、自分に取りつく幽霊と思って怯える人がいるという話などなど。

もう一つは、腸内細菌が人のムードを作っているのではないかという話や、寄生虫によって異常行動が起こされるのではないかという話…

脳のメカニズムを、ホルモンバランスというべきか、タンパク質その他の化学構造というべきか、科学が発展しればさらに正確に記述されるのではないかと思うのだけれど、要するに、腸内細菌も、寄生虫も、この微妙な脳内のケミカルバランスに影響を与えるということは間違いない。

遺伝子のほとんども、人間本来のものというよりは、ウイルスの介在によって外的にもたらされたもののほうが多いという。

そして、人の体の中の細胞数は無数であり、たえず、再生し続けている。

直接自分のものとは考えていない、腸内細菌その他も、実は、人との共生状態を維持している。

ミトコンドリアは人間の体に残された宇宙生命体のなごり…

この無限大とも思われる膨大な数の細胞や生命体からもたらされる膨大な情報量は、脳のどこかに保管されている可能性はあるとしても、これを、常に、「意識・自我」のレベルで管理下におくことは不可能…

そして、これは、人間の体の中だけでの話。外の世界を含めたらとんでもないことになる。

もう一つは、秩序と無秩序の話。この世界には、秩序や整合性が生まれれば、それと同じ量の無秩序が別の場所で発生しているというもの。脳の中に論理的な思考や知識が蓄えられるとすれば、それは秩序の構築、これに対して、同じ量だけ生成された脳内の無秩序を排除するために、人には睡眠が必要なのだという。

この考えが正しいか・正しくなにかは、まあ、個人の好み(?)というか、感性の問題として、エントロピーの法則だの、物質と反物質の話だの、物理学的な学説や理屈をほんの少し聞きかじっただけでも(ただし、聞きかじりの知識は極めて危険だけれど)、なんとなく、養老先生のおっしゃっていることは正しそうだという気がしてくる。

ということは…

この世に善なるものがあれば、それと同じ数だけ、悪なるものが発生する。

聖書にあるイエス様の「天国は常に襲われている」という不思議な記述もこれで説明がつく気がする。

ジキル博士とハイド氏の話も説明がつく。

キリスト教的な一神教的な神の概念と天国を持ってきてしまえば、そこには当然、相対する概念としての地獄と悪魔の存在が必要になる。

悪なるものを含めたすべての存在が神(あるいは自分自身)だと考えようとすれば、自分の中にある、どうしようもない絶対悪的な部分を認めざるを得なくなる。

それは、私が認識・知覚できる形では、私の中には存在していない。あ、普段はね。

世の中の悪徳、戦争、虐殺…そんな形で、私とは、あたかも無縁の世界に存在しているかのようにみえる。

でも、実情は…
ここまで考えて、ここから先にすすめなくなっているというのが今の私の心の状態でした。
でも、なんだかすっきりしていきているような気がします。

いま、Kafula sur le rivage の15章を読み返しています。

Tout est question d'imagination. La responsabilité commence avec le pouvoir de l'imagination. Yeats disait : In dreams begin responsibilities.

これは少年時代の大島さんの走り書き
カフカはLa responsabilité commence dans les révesに心を打たれて、夢の中で父親を殺し、現実に血まみれになって倒れていた自分の姿を思い出す…

「この部分がわからないのです!」と昨日は書こうと思っていました。
でも、そうですね、父親を夢の中で殺し、それを記憶にとどめることすらできなかったのは、カフカ少年にほかならないのですね。
私が、自分の中の悪なるものを、自分のものとして認識できないように。
そして、これは、カフカ少年が父親から受け継いできた呪いの構図…
その原型は、おそらく、ギリシャ神話に端を発するオイディプスコンプレックス

ご心配なく。
「私」が自分の中の悪魔的な部分を「自分で責任をとるべき自分の一部」として認識できないのと同時に、「私」には、自分の中に内在する神的な力についても、自分の一部として認識することはできません。

わかったことは、「私」というのが、この、無限な広がりの中の一つの点であり、この無限の世界にはすべてが内包されていて、その、唯一、中心、あるいは、空間を隔てた上のほうの真ん中の点から世界を見下ろしているのが「私」、つまり、「私」はどこにいってもすべて世界の真ん中。

少なくとも、「頭」のレベルで認識できる範囲では、この世界の半分の人は私よりも頭がよく、半分の人は私よりも頭が悪い。半分の人は私よりも「善なる」人であり、残りの半分は私jほど「善なる人」ではない。

ただし、そのすべてが、実は、私を構成する構成要素にすぎない…

あれ、またまとまらなくなってしまった。

あ、もうひとつ、わからない点を思い出しました。

小説の中で、文字を持たないナカタさんが、自分自身のことを「からっぽだからなんでも呼び寄せてしまう。あちらに戻って文字を取り戻したい(元の自分にもどりたい)」と言っていることと、亡くなったナカタさんの体の中から不思議な(悪的な)舌のような生き物(おそらく、ナカタさんがジョニーウォーカーさんを殺した時にナカタさんの中にはいりこんだ?)が出てきたこと。

舌、文字、言葉???
厳密には、ナカタさんがもたないのは文字であって、言葉ではないけれど、おそらく、抽象志向は苦手であろう知的水準の人物として書かれている…

言葉が自我を作り出すのではないのですか?
でも、言葉は、秩序の維持のために必要なのですか?
それとも、言葉は「神」なのですか?

養老先生は、日本語の特性は感覚言語であるということと、キリスト教と仏教の違いについて、いくつか具体例をあげて説明されていますが、この部分は、、、う~ん、かつてはスペイン語をこよなく愛し、これは、「神を語るために響きを美しくすれために変化していった言葉である」と知って絶賛し、今は、フランス語に夢中で、ドイツ語のまわりくどい言い方がとてもつなく好きで、頭の半分は日本語母国語から英語母国語に近い状態に変わりつつある身(ものの記憶の仕方とか)としては、おっしゃりたいことはわかるのだけれど、使った例が納得がいかないという感じでした。

スペイン語の Ni modo とケセラセラはいまだに大好き。
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2 Comments

There are no comments yet.

ぽん  

2018-12-31 06:42

今年もありがとうございました☆
来年もまた仲良くしてください☆
宜しくお願いしましゅ☆

よいお年を♪

http://hokkaidounahibi.blog.fc2.com/

EDIT  REPLY    
sakulanbo204
ぽん様

sakulanbo204  

2018-12-31 19:38

こちらこそ、いろいろとありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を。
まだ大晦日のアメリカです。

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