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ひとりごと Musing

とりとめのないひとりごと

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相変わらず、辻井伸行さんのピアノ演奏に夢中。まず、聴く曲、聴く曲、全部、知っている曲なのに音の感じがまるで違う。最初に聞いた数曲は、普段は柔らかな優しいイメージのある曲が、急に透明さを帯びてきたような、そんな印象を受けた。で、次に聞いた、これだけは大好きで、日本でもコンサートに行ったことがあるラフマニノフの曲…え、え、え、普通と逆じゃない。この方のラフマニノフはひどく心優しメロディーになっている。
まず思ったのは、辻井伸行さんにとって、曲は関係ないんだなということ。この方は、心の中にある透明なものすごく美しい何かを表現しようとして、それをピアノに託して音として奏でている…
で、聴いていたら、この方の弾いてらっしゃるピアノって、本当に普通の人の弾かれるピアノと同じ調律なの???という気分になってきた。音のひとつひとつがまるで違う。
そうか、この方にとって、ピアノはもう体の一部のようなもの。どうしたら、どんな音が出るのか、完全にわかってらっしゃるんだろうなあ・・・と
普通、優れた演奏家(というか最近評判になる人達は)は、技術ではなく、心で音を奏でると聞くけれど、で、そんな演奏をする人は多いけれど、あの人達は、心の中に何か表現したい「思い」みたいなものがあって、それを楽曲にのせて奏でている。この方は違う、この方は、ひたすらに、心の奥底にある、なにかわからないけれども非常に崇高で美しいものを、音楽によって表現しようとしているのではないか、そんな印象を受けた。
ラフマニノフを聞いていたら、涙が出てきた。

そして、私のやりたいことが、抽象的なレベルでわかった。4歳の時に封じ込めてしまった思い…

私は、ひたすら「知りたい」し「わかりたい」の。
今の私の曇った目には、ものごとの真理が見えない。だから、できるだけ、私の心を透明に近づけていって、そんな透明な目で、真理が見極められるようになりたい。

思いのレベルでは、この世は何重構造にもなっているそして、多次元の、無数の光が繰り広げる、光の同心円が交差しあっている。この波長が触れ合うことがなければ、知りうることができないこと、すぐ隣にあるのに見えないこと、わからないことが無数にある。

現実の毎日の平穏な生活は、永遠につづく、細いコイルバネのような、微妙にらせん状になっているばね。日々、同じことの繰り返しなのに、絶対に同じではなく、毎日の繰り返しの中で、少しずつ、少しずつ変化していき、やがて、再生ができなくなった時に死を迎える。

lこれは、環境が変化しないという幻想の上になりたつ同心円(もどき)のコイル。

環境が激変すれば、コイルごと、どっか別の次元に飛んで行ってしまう。

あるいは、日々の生活も、環境もかわらなくても、投げかけられる光の角度がほんの少し変わっただけで、、、無数にきらめく光の旋回の角度がほんの少し変わっただけで、目に見える世界が大きく変わってしまう。

感情、脳、心、感覚…

茂木健一郎先生と、養老孟子先生と、内田樹先生を全部つなげると…

要するに、身体感覚が、そのまま、感覚、判断力、直観力につながり...だから、そういった現実の感覚に裏付けられた心や感情はとても大切なんだけれど…
これが、ほんの一歩でも「今l・ここ」から離れてしまうと、脳によるつじつま合わせによる「記憶」にすり替わってしまう。この記憶は魔物で、時に身体感覚すら記憶から呼び起こすことができる。

だから、このあたりの関係性はとても複雑で、口で説明しようとするとぐちゃぐちゃになってしまう。だって、ぜ~んぶ同じ現象で、それを裏から見てるか表から見ているかだけなんだから。

んでっと

お腹の底から感じる「悲しみ」と「喜び」は根っこは一緒だと思う。ものすごい深い感動と結びつく。

怒りと不安感も根は一緒という。これも納得がいく。

では、怒りと悲しみの関係は???

普通、わかってくれないって怒って、悲しくなって、自暴自棄になって、悪魔的な行動にでるんじゃないか?

いやいや、違う。

人は、他者が感情に突き動かされて思わずしてしまった事柄については許容範囲が広い。

むしろ、感情に動かされずに、淡々と殺人計画を練って実行しちゃうような人を「悪魔的」と呼ぶ…

だけどねえ。

じゃあ、ナチのアインヒマンがやったことは悪魔の行為なのかい???

そりゃあ、犠牲者やそのご家族からみたら、その通りでしかないと思うけれど。

じゃあ、「今、ここ」に集中して、「やるはめになってしまったこと」を淡々と実行しなさいっていう教えはどうなるの?彼のやったことは、まさにそのとおりでしょうが???

では、戦場で敵の兵士を殺すことは???愛国心、お国のため? でも、殺された相手国のご家族から見たら許せないよね…
じゃあ、戦国時代の武将たちは???

こんな思いが出てくるのは、さっきの無数の4次元をはるかに超えた複数の次元に広がっている同心円の光の環は、時間を一つの軸として、過去と未来とにつながった同心円にもなりうるという感覚があるから。

だから、心のどこかが過去とつながってしまえば、このうような荒々し気持ちが自分のものとして上がってきかねない。
逆に、愛する人を亡くした犠牲者の気持ちも、私自身の気持ちになりうる。

こんなのを脳科学だ認知心理学だなんだって説明するのはとっても大変だから、普通の人は、「過去世」という言葉をつかい、別の人は、時空がゆがんでいるため、人は過去にも未来にもつながっているという。

もう、何が言いたいんだか、何を考えているんだか、さっぱりわからない。

普通は、こういうふうにブログに吐き出すと、少し考えがまとまってくるのだけれど、今日は、支離滅裂な方向にひたすら発散していってしまって、収束する気配がない。

で、私が外国語に惹かれる理由。
英語以外の外国語で物事を考えると、心の雑音が消えるから…

ずっとそう思っていた。
でも、違う。

外国語で物事を考えると、また一人、別の人格が生まれる。たぶん、この魅力にハマっているのだと思う。
これは、英語でも言えるかな。
英語でしゃべる私と日本語でしゃべる私は別人。
スペイン語も別、あれは単純明快で便利なんだけど…今はほぼ忘却の彼方
ドイツ語のひたすら理屈の世界はすごいけど、これは難しすぎてお休み中。高校生の頃も挫折したんだっけ。
今は、音と単語の切れ端だったフランス語が、頭の中で「言語」に変わりつつある。
おまけに、フランス語っていうのも、ドイツ語と匹敵するくらい理屈っぽい言語で、さすがはデカルトを生み出した国、そんな気がしてくる。

あ、だめだ、意味不明のブログになってきたので、しばし休止。
写真は、お隣のスーパーで買ってきた、「チョコレートデカダンス」
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