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外食 Eating out

新年会で食べたものその他・ひとりごと

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写真、見つけました。
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サラダと
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メインと
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デザート
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おいしかったあ!
以下、ひとりごとの続き。

いろんなYouTubeを聞いていて、「ああ、そうか!」と思う都度、書き留めておきたいと思うのだけれど、いろいろあって、いろいろな思いが交錯していて、もう、なにがどうなっているのやら、どこまで書いたのやら。。。

慶應大学の前野教授の脳科学についての講義を見つけた。
その昔のてんかん治療のためにロボトミーの手術を受けた患者さんの症例その他については、養老孟子先生や武田鉄矢さんもいろいろ取り上げていて、特に目新しいものはなかったし、基本、今の脳科学や量子力学でやっていることは、2500年前にお釈迦様が言われたことを科学的に証明しようとしているだけじゃないかという気もするが…(で、引き寄せいの法則は新約聖書の焼き直しだけれど...

人間の視覚と時間認識の研究報告は、知識としては新しかった。
赤い色を見せたあとに、一瞬、何も見えない状態にして、次に緑の色を見せると、脳は、見えていない時間帯に、実際は、未来に提示される緑の色を見ていたと認識するというもの。
同じ原理を応用すると、デジタル時計の秒針の1秒が実際には一秒以上に見える現象も説明できるという。
ま、いわば、ミューラー・リヤーの錯視の時間版ではないかと思うが…

ただ、これは、ごく短い時間だから、脳が錯覚するという説明もできるけれど、突き詰めていると、つまり、自我意識とか意識がやっていることは、実は無意識に左右されている現実のつじつま合わせであり、私たちが記憶している「現実」と考えているものは、あるいは、脳が作り出している錯覚ではないかという考え方につながる。

ここまでが前野教授のお話。

で、ここからは、その前の少し古いNHKスペシャルの脳のついての説明について考えていたこと。
脳に障害のある人が、世の中の人や物の動きをうまく認識できないという話。

これとは症例が違うが、やはり少し特殊な脳機能を持っている友人は、Virtual Reality や3次元の画像がうまく認識できないといっていた話を思い出した。

その昔のセル画を使った動画は、本当に、人間の目の錯覚を利用したもの...ということは、こっからは私の考えなのだけれど、
実は、物が動いていると考えること自体が間違えなんじゃないかな。

これは、高校生の時に、「飛んでいる矢は止まっている」という数学の命題を聞いて以来、ずっと考えていたこと。矢の動きの一瞬一瞬をとらえれば、すべては止まっている。したがって、矢は止まっているのだ、というもの。

これって、ほんと、矢はいつも止まっているんだよね。矢が動くと考えているのは、時間が前に進むと考えているから、時間が進む限り、物が動いているように見えるだけだよね。

で、話が横道にそれるのだけれど、私の存在、人の存在、人類の存在、世界の存在に、果たして意味があるのかという問題がある。

あんまり新しい科学のことはほうっておいて、古典的(?)なエントロピーの法則を考えて見た限り(←高校性の知識のまま止まっているが)、ものごとはすべて、乱雑さが増大する方向に進む。宇宙が無限にその方向に拡大を続けていけば、すべてはほぼなにもない、ものごとが無限に広がってしまった状態になって、すべてものもは(正確な定義は違うけれど)無に帰してしまう。

それが、何万年後か、何百万年後か、時間が不明で、あるいは、時間が逆さんするとか、また生まれ変わって繰り返すとか、いろいろな仮説は可能だけれど、時間が前に進む限り、人類も、生命も、地球も、恒星も、宇宙も、必ずや、滅びる。

何かが無から生まれたのかもしれないし、もともとなにかがあって、それが形を変えているのかもしれないけれど、すべてものは、やがては滅んで無に帰していく。

私だって、やがては死ぬ。人類が滅びれば、私のことを覚えている人は一人もいなくなる。

ってことは、私の生きている意味なんてまるで意味がない。

おおきな、大きな大局的な、あるいは、長い目で見たらの話しだけれどね...

このむなしくなる発想は、時間が前に進んでいるという考えにもとづいている。

時間の観念を捨てて、今、この時だけに意識を向ければ、すべてのものごとがとても簡単になる。

そして、量子力学的な説明(を、ここに応用していいかどうかについては私自身も疑問だし、異論もあるとおもうけれど)を借りれば、今、ここで、意識を向けたものが、いま、ここに存在する。

で、さっきの話に戻るけど、結局、時間の感覚も、ものが動くという感覚も、すべては脳の錯覚なんじゃないだろうか。

そして、視覚ということに戻って考えると、脳で認識しているのは、無数の点に過ぎない。で、私の理解が正しければ、色だって、色の三原色の無数の点の組み合わせで色を認識しているにすぎない。立体の認識は二つの目で見て作り上げている。

ってことは、見えていると思っているものも、すべて、脳が作り出していること。

やっぱ、すべては脳が作り出しているだけなのかもしれない。

私の特論、現世も来世もない。あるのは今だけ。そして、脳科学と認知心理学ですべては説明できる。
だけど、やっぱり、人はものごとを投影させることではじめていろいろなことが理解できると考えると、神も仏も過去世も来世も、すべて「ある」ことにして生活してしまうほうが、いろいろなことがずっと容易に理解できる。

たとえ、時々人が見たり、人を支配したりするいわゆる「魑魅魍魎」が幻覚であったとしても…
それは、河合隼雄先生が村上春樹先生に言われたように、「すべては現実」

あ、もう一つ、思い出した、

村上春樹の「海辺のカフカ」の第一章に出てくる、子供の頃のお姉さんの写真…光の関係で、右と左が、希望と絶望…(その他いろいろ)のように、真ん中から二つに分かれて見えるというもの。

すごい、これを第一章に持ってきている!

この世の光と影、幸せと不幸せ、善と悪は、すべて、一つの球体の表と裏…
光が強ければ、闇も同じだけの強さを帯びてくる

人にできることは、常に光に目を向けて、今のこの瞬間を生きることだけ。

そして、孔子だっけ、孟子だっけ、中国のだれかの「中道(あれ、この字でいいのかな)思想は、これに関連しているんだと思う。
もっとも、斎藤一人さんに言わせると、この、中道っていうのは、常に善と悪の真ん中にいなさいというわけではなくて、この大きな振れ幅の中で自由自在に行き来しなさいという意味らしいんだが。

はあ、また、支離滅裂の、「思ったこと」ブログでした。
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