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外食 Eating out

11月の写真だけれど…ひとりごと

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もう、去年のものですが、ちょっとしゃれた盛り付けのメキシカンを食べたので、覚書に。
南サンノゼで入ったお店です。
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ただのグワカモレが、こんなしゃれた形で出てきました。
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チップスと
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なんていうんだっけ、これも盛り付けがしゃれてる。
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メインは、このアルミ箔の中にタコスが入っていて
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こちらのファヒータだったかな、これを包んで食べます。
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一瞬、ファヒータって言葉が出てこなくて、大昔、日本人の方立ちと別のお店に入った時、メキシコ料理の名前を全部、日本人の名前に変える方がいらして、ああ、これ、そういえば「フジタ」って呼んでたなあと思ったら、すぐに出てきました。
記憶には見出しをつけておくこと、大事ですね。

おいしかったあ!

以下、終わるところをしらないひとりごとです。
ただ、なんか、ここに来て、なんにも書く必要はないんじゃないかという気がしなくもないが…

以前書いたかな、小林正観さんが、人が悟には3秒あればいいと言っていらした気がします。細かい言い回しは忘れましたが、
過去のすべてを受け入れること(一秒)
現在のすべてを受け入れること(一秒)
未来のすべてを受け入れること(一秒)

まあ、これは極端としても、さとり系の本を一冊読めば、エッセンスが集約されていますね。
悟りの本なんぞといわず、おとぎ話の「青い鳥」(+河合隼雄先生あたりの解説書?)あたりで事足りるかもしれない。

ただ、ここで重要なことは、悟ったあと。

悟るのは3秒でできる。大切なことは、その後の長~いい人生を、いつも、この思いを忘れることなく、一歩一歩歩み、実践していくこと…こちらのほうがはるかに難しい。

んだけど、理屈命の私としては、それよりも、「あ、わかった!」と思い込んでいるこの世の仕組みとか、いろいろな賢人の教えが少しずつ少しずつつながっていく過程がどうしようもなく楽しいから、読んでくださっている(酔狂な方がいらしたら)、その方々の傍迷惑も考えずに、自分の覚書として、ただ、書き留めている。

でも、エッセンスはどれも一緒。小林正観さんの3行が一番端的かな。

昨日、いろいろ考えていて、すごく新しいことを発見したような気がするんだが、それはもうすでに忘却の彼方(汗)

で、今日考えてたのは、ほとんどの人の行動原理は「不安、恐れ、恐怖」そんなものに支配されているんだなあということ。

で、この不安と恐怖を、喜びと歓喜に入れ替えてしまえば、ものすごく生きやすくなる(ただし、これも新約聖書の時代から言われている。エペソ人への手紙だったっけ???

で、人から不安と恐怖を取り除くことができたら…ああ、そうか、この世から戦争と争いをなくして、平和をもたらすことも可能かもしれない。

でも、不安や恐怖を経験しなければ、喜び・歓喜、そんなものは理解できないんじゃないかと思う。

喧騒があってはじめて平穏、静寂のありがたさがわかる。

ということは、この世のさまざまな悪徳は、ほとんどの場合、必要悪。

じゃあ、神は人に何をまなばせたいんだ、人は、何がやりたくてこの世に生まれてきているんだ...という話になる。

人によっては、宇宙人陰謀説だとか、地球は奴隷惑星・囚人惑星で、人に罪の意識を植え付けて、一部のごくごく上層部の人達だけがおいしいところだけかっさらっていくために作られたものだから、そんな思い込みからまずは、自分自身を解放しなければいけないという人もいるけど…そういった人たちが、別のところで話している、悟りの本髄とか愛みたいな話になると、すごい矛盾を感じるんだよね。
あるいは、この地球は、つらい苦しい修行の場、とか、人は、因果を解消するために生まれてきているとかいう人もいる。

違うんじゃないかな?
結局(いつものところに戻るけど)人は、みな、神の子で、神の国で(あるいは宇宙の素晴らしい星で)おもしろおかしく、なんの不自由もなく暮らしていて、な~んにもわかんない状態で、平穏に暮らしていたんじゃないかな。エデンの園のアダムとイブみたいに。

で、ふと、下界の「人間界」という、さまざまなチャレンジがある世界を見て。「よ~し、今度は、あの星に行って、これとこれとこれってチャレンジ課題を作って、それを踏破してみよう」って決めてきて、バーチュアルリアリティのディズニーランドよろしく、「地球遊園地」を作り上げて、ここの遊びに来たんじゃないかな?

ネタがわかっちゃったら楽しめないから、もちろん、この世界に来たら、その前に自分で定めたチャレンジ(っていうか、お化け屋敷とかジェットコースター)のことはすっかり忘れているんだよ。

今度は、こういう難しい課題を作って、それに挑戦して、雄々しく生き抜いて見せるんだい!

とか、人は、それぞれに、生まれながらに決めてきているんだと思う。

そうでなければ、どれほどありがたい話を聞こうが、どれほど他者が説明しようが、傍目にはどれほど恵まれていようが、かたくなに、「私、不幸なの!」と言って、不幸な世界でつらい生活を送っている人たちの説明がつかない。

あれ、みんな、「そういう不幸を背負って、この課題を克服する」って遊びのゴールを設定しているから、そうなるんじゃないかと思う。

追記の追記

思い出した。「ポジティブな生き方」と、「ポジティブな生き方のふり」、「幸せになる覚悟」と「幸せになる覚悟をしようという悲壮な決意」、「うん、これも経験、楽しいよね」と、心からにっこり笑えるか...「これはあとから考えたらよいことに違いないんだ、今はつらいけれど頑張ろう」という考え方と、
この二つ、ものすごく違うんだけれど、私も含め、ほとんどの人は、後者なんじゃないかな。だって、人から「やりなさい、そうすれば幸せになれますよ」って教えられたら、どうしても、がんばってそうしようって思っちゃうものね。

違うんだよ。がんばって、ポジティブなふりをしたり、「私、幸せなの」ってうそぶくのって、まあねえ、言霊って言葉もあるから、時と場合によってはそれなりの効果はあるんだろうけれど…

どうしようもないくら~い顔して、「私、運がいいんです」って言っても、あんまり意味がない気がするよ。
つまり、言霊のポジティブな効果はあるかもしれないけれど、この効果は、「無理して頑張っちゃう」悪影響で帳消しにされちゃうと思う。

「幸せになる覚悟」っていうのは、不幸のどん底の中で悲壮な覚悟して、「幸せになる!」なんて誓っちゃったら、それこそ、世の中に対する復讐になってしまう。

そうじゃないんだよなあ。じゃあ、どうしたらいいのかって言われると、うまく言葉で説明できないんだけど、

あ、その前に、私が、アメリカのグランマアのマーサから教えられて神様にお祈りしたこと。
「神様、あなたのことを信じられるようになりたいと思います。でも、私に奇跡は見せないでくださいね。強制もしないでくださいね。私が、心の底から、『あなたを信じて生きていくことはすばらしいんだ』ということを、私にわからせてくださいね」

もちろん、この天邪鬼なわがまま勝手な祈りは聞き届けられた。

ちなみに、このマーサ、戦前のアフリカに看護婦(いまは看護師だけどね)としておもむき、村人全員をキリスト教徒に変えてしまったとか、肝炎にかかって、本当は雨期の洪水で渡れない川を、たらいだったか何かに乗せられて、村人の力で渡らせてもらって、西洋文明下で医学的な治療を受けて助かったという逸話の持ち主でした。

ああ、話がそれた。
幸福になる覚悟…この覚悟、心の底から、期待一杯に、ニコニコニコニコして、本心から、
「私、幸せになる(⋈◍>◡<◍)。✧♡)」
って決めることだと思う。
でないと、弊害が大きい。
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2 Comments

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ぽん  

2019-04-24 23:02

メキシコ料理、いろいろあってちゃんとしたのを食べてみたいなぁ~☆
サルサとかで辛くしたのがメキシコ料理って感じのしか無いのでつまらない・・・

http://hokkaidounahibi.blog.fc2.com/

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sakulanbo204
ぽん様

sakulanbo204  

2019-04-25 18:23

そう、日本でおいしいメキシカンのお店探すの大変ですよね。
アメリカも、以前はあまりおいしくなかったのですが、最近
アメリカのレストランのお味、どこもとみに向上してるみたいです。

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