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ひとりごと Musing

時代は変わり...

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写真は、もしかしたら前にアップしたかもしれないけれど、近くの航空博物館に展示してあった飛行機の操縦席

今回は、完全なひとりごとです。適当にスルーしてください。
時代って、「魂の時代」とか「水瓶座の時代」とか言う意味で考えていたのですが、考えてみたら、5月から令和でしたね。「おめでとうございます」と書くの忘れていました。

食べ物や旅先の風景の写真ではなく、あえてこの写真をアップしたのは、自分の人生を自分でコントロールしていく覚悟をあらたにしたかったから。

「ひとがニコニコ笑って喜んでくれる」という他者基準のスケールを外してしまったら、いったい、何が私を幸せにするのか…

この問題は頭のすみっこに置いたまま、職場とはまた別のところで、ものすごい人間関係の嵐に巻き込まれかけている。まあ、基本的には私は傍観者なので、時々かかってくる電話を適当に聞き流していれば、すべて通り過ぎていくんだが…

傍観者として、すべての情報が目の当りに提示されていて。。。すべてのことが、まったく意味をなさない。なぜ、これほど、「良い」人達が集まって、これほど、ひとりひとりが「一生懸命」な場所で、すべてが、あたかも崩壊寸前のような状態になっているのか???

で、海辺のカフカに戻ると、フランツ・カフカの「流刑地にて」のところでカフカが「その複雑で得たいのしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ。それは比喩とか寓話とかじゃない」 "Cette machine à exécuter, complexe et énigmatique, a existé réellement pour moi. Ce n'est pas une métaphore ni une allégorie."と言ってるところが気になった。

で、オンラインで検索して、フランツカフカの「流刑地にて」を青空文庫で斜め読みしてみた…
フランツ・カフカとこの小説についても調べてみたのだけれど、よくわからない。フランツ・カフカは、たしか、「変身」だけは読もうとした記憶があるけれど、読み終わったんだっけなあ…あらすじは学校の先生が話してくれた気がするが。
実存主義についてもよくわからないし、見当違いなことを書いているのかもしれないけれど、あれは、絶対王政が崩壊しつつある中、各地で戦争が勃発していた頃の話…
ぞっとする殺人機械の話と、将校が辿った最後、結末…どうもよくわからない。そして、海辺のカフカのカフカ少年の言葉…
少なくとも、家でをするまでのカフカ少年の心の状態が、かなりギリギリのところにあったことはわかる。この小説の最後のほうで、大島さんから、「やっと笑ったね」と言われているところを見ると、人に笑顔を見せることすらなかったのだろう。

で、人間関係のゴタゴタや「流刑地にて」のことを考えていた、思った。
あれは、一つの時代の終わりを告げるものだったのではないかと。

「正しいこと」をすることが正義であり、それ以外のものはすべて処刑してかまわない、あるいは、絶対的な権力が存在していた時代から、新しい時代に移る過程で、大きな大戦があり、大勢の人が犠牲になり...戦後は、アナキーだなんだと、無茶苦茶な退廃的な文化が生まれ…いわば、過渡期を経験して今に至り...

いまもまた、魂の時代の幕開けと言われているが、過渡期であることにかわりはない。

人と人とが正義のために戦う時代は終わったのかもしれない。
正義を振りかざすことは、争いと分断と混迷をより一層根深いものにするだけ。

21世紀は、光の時代、愛の時代、波動が変わる時代、人類が2000年待ち続けた魂の時代の夜明け(←って言われていますよね)
これは、20世紀後半から言われていたけれど、その論拠の一つとして、かつては、「奥義」とよばれ、厳しい修行を積んでだ開眼者にしか教えられなかったような「秘法」が、いまは、「公開講座」みたいな形で、希望者ほぼすべてに公開されている。

なにが言いたいかっていうと、これから先、「正義」をかかげてまっしぐらに進むことは、うまくいかなくなるんじゃないかな。
カフカ少年を苦しめていた殺人機械は、思春期の若者が、「正義の実現」を追い求めていたからじゃあないのかな。

ああ、うまく言葉がまとまらない。
あともう一歩まで来ているのに、最後の答えに薄いベールがかかっているみたいなもどかしい気分。

でも、人間関係のゴタゴタと、人の動きを見ていて(人は私の鏡だから)、本人が心の底から幸せでないと、すべての努力が空回りしてしまう例を、いやというほどみせつけられた。

どうやっていいのかは、まだ、完全には把握していないのだけれど、とにかく、まず私が幸せになろう。

たとえ、私の究極の目的は、やっぱり「人」を幸せにしたいと思っているとしても、まずは、自分自身の心を満たさなければ、人に対して行う親切げな行為は、すべて、「親切の押し売り」になってしまう。

まずは(いつも書いているけれど)自分自身に対して、「私」をまっさきに持ってくることを許そう。
それが、私の心を、ものすごく明るい、温かい光で満たしてくれるから。

それが、私自身を動かすエネルギーとなるから。

なにをどうしたらよいのかは、あとから考えればよい。暇ができたときにね。

たぶん、真の意味で、自分自身をこの世界の中心に据えれば(というか、実際にはもう中心なのだから、この事実に気が付きさえすれば、いや、実際には、みんなこのことは知っているのだから、その事実に、目を向けさえすれば、すべてのことは、考えるよりも先に、悩むよりも先に、ものごとのほうが最初に動きだす。

考えるには、あとにすればよい。

おばちゃまはスパイシリーズのミセスポリファクスが言っていたようにね。
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