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日本滞在記

中尊寺

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すっかりブログをさぼってしまいました。
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今更ですが、5月末に訪れた中尊寺の写真です。
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なんか、二台のスマホに分かれた写真が勝手に、オンラインライブラリーにアップされるようになっていて
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自動で接続した際のファイルダウンロードはどうもうまく行かず、
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結果、同じ写真の複製があちこちにできてしまって、その整理が面倒で放置状態でした。
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なので、とりあえず、、サクッと写真のアップです。最後は中尊寺で食べたお蕎麦。おいしかったあ。

以下、ひとりごと

最近、心の中でいろいろなことがものすごく変化している感じで、それで、あまり、ブログのひとりごとで書きなぐる必要性がなかったような気がします。

以下、現時点での私の理解を…

この世には、現世も来世も生まれ変わりもないけれど、でも、「あたかも」そういうものがあるかのように話すほうが、すべてのことのつじつまが合うし、説明がずっと楽。そして、「ないはず」と言いつつも、現実は、「あたかも」そういうものがあるかのような動きをする。

禅の世界でいわゆる「悟った」であろうと思われる高僧の方のお話を聞くと、そんな印象を受けますね。
ただし、ひとたび、この世に生を受けて、「人」として活動しだしたとたんに、「キリスト教的な世界観」が大手をふるってまかり通り、神は(これもまた)存在することになり、やっぱり、天国と地獄と神と人と…そういう言葉を使ったほうが、すべてがしっくりと説明できる。

でも、究極、この世には、「完璧なる善」はそれだけでは存在しえず、「完璧なる悪」もそれだけでは存在しない。
すべての人が万が一悟ってしまったならば、それことが、この世の終わりだと思う。
なんかインドの教えかどっかで、石だったか何かをひとつずつ動かして行って、全部動かすにはそれこそ何千年ってかかるみたいなんだけれど、それを動かし終わるとこの世の終わりが来るっていうのがあった気がするけれど、それに近い。

人が、他者との差をすべてなくして、すべてが均質・同質になってしまうというのはそういうことだと思う。

仏教は、砂を噛むような退屈な哲学、キリスト教もまた、砂漠の土地に生まれた土着の宗教…
それはすべてその通りだと思う。

でも、今の私は、お釈迦様にもイエスキリスト様にも同じような、あこがれと言うか、畏怖というか、そんな感情を持っている。

===
物事を、細か細かく分けて言ったら、∞の数の粒子になってしまう。
外に目をむけて、∞の粒子を無数個あつめていくと、これまたとんでもない数になる。

占いは、一つ一つはあたりそうなんだけれど、これを∞集めたら∞かける∞はやっぱり∞で、これも無意味になってしまう。
宗教の教えも占い師さんの占いもしかり。

だから、未来を的確に正確に予測することは不可能。

そして、この世には無数の人がいる。

その一人一人はぞれぞれにすべて違っている。

そして、その違った一人一人がそのままでかまわない。

なにがいいたいかって...
私が地球のてっぺんに立っているのだから、私は∞に続く同心円の真ん中にたっていて、立体的に見れば、私はその頂点に立っている。すべての一番上。だけど、平面的に見れば、私の上に半分、下が半分ってことになる。で、この私みたいな点が地球上に無数にあるから、これがぐるっと一周すると、また私に戻ってくる。つまり、私より上に見える人も、まわりまわってぐるっとまわると同じところに戻ってしまうから、そういう点では上も下もない。

で、私の体内の無数の細胞や共生している細菌の数に目を向けると、これまた無数の数になる。

「私」とは何かと問う他時、これは、無数に続く管の組み合わせでできているかのように見えるけれど、どこまで分解しても、私はどこにもいない…

「私」はこの世の外側にある。

ようするに、なんでもありなんだな。
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2 Comments

There are no comments yet.

miyu  

2019-08-19 00:34

ブログに書く必要がなくなったというのは良いことです。

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sakulanbo204
miyu様

sakulanbo204  

2019-08-20 20:25

まあ、よいことっていえばよいことなんですけどね。

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